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Elizabeth

RatingG   J/C Doc. Tu  7

あらすじ: キャスリンの中にもうひとりの人格が現れた。

※スタートレック・ヴォイジャーと、それに登場するキャラクターに関する著作権はパラマウント社に属します。この作品はそれを侵害しようとするものではありません。転載をご希望の場合はご相談下さい。

キャスリンは作戦室のソファでため息をついた。窓に映る星々を見上げる。尾を引いて次々と飛んでいくそれらはいかにも儚げに見えて、ここ数ヶ月の出来事を象徴しているかのようだった。

ボーグからセブンを連れ戻した大作戦と前後して、艦の中でも事件が相次いだ。ハリーやトムの「反乱」、チャコティには遺伝子の異常が現れたし、ベラナやドクターの「傷」も深かった。これまで頼りにしてきた上級仕官たちが、思わぬ不確定要素を抱えていたのだ。

そして…何よりも自分自身。あの「空虚」で、無責任にも私室にこもり、クルーに顔さえ見せず、チャコティにあたりちらし…。艦長どころか、艦隊仕官としてあるまじき態度だった。ホントに成長しないのねと、過去の自分が嘲笑している。不確定要素を取り去るには、どうすればいいかしら。クルーたちに、そして私自身の中に、こんなにも深く棲みついているこの闇を。その責任は、全て自分にある。艦長として、あの決断をした自分に。それを思う度に、ズキリと胸が痛む。キャスリンは深いため息をついた。あぁ、もう誰かに…。

テーブルの上のコーヒーを一口飲む。冷たい、しかも心なしか薄い気がする。キャスリンは眉をしかめて、カップの中を覗き込んだ。真っ黒な液体は鏡のように彼女の顔を睨み返している。

が、突然コーヒーに写った顔がにやりと笑った。

副長席の横にあるパネルに映されるデータを見ながら、チャコティは人知れずため息をついた。前日からの連続勤務に疲れていたのだ。だが、今日はこのあとキャスリンとのワーキングディナーがある。今となっては「ワーキング」というのは名ばかりで、ほとんどか楽しいプライベートな会話だった。リラックスできる時間だ。

キャスリンとは、いつの間にか微妙な関係に落ち着いた。彼女への想いは変わらないけれど、果たして自分が男として見られているのか、近頃はそれさえ少し不安になってくる。何しろ、私室でディナーを共にし、レプリケート物じゃないワインまで飲んでも「何もない」のだから。昔の自分なら、愛した女性が自分を意識していようとなかろうと、ストレートに迫ったものだが、なぜかキャスリンにだけはそうしなかった。いっそ今夜のディナーで迫ってみようか。いつも考えることだが、実現したことはない。愛が浅いわけではない。むしろこれまで経験したどんな愛よりも、深く激しく感じている。なのに、いやだからこそ、かもしれない。彼女の望む副長、そして友人でいるのがいいのだろう。

急に作戦室のドアが開いて、キャスリンが顔を出した。笑顔はない。そして顔をちょっと傾けて、チャコティに作戦室へ入るように促した。チャコティはいつもと違う呼び方に少し戸惑ったが、素直に従うことにした。トゥヴォックに目配せして、作戦室に入る。

「なんでしょうか、艦長」

キャスリンはそこでにっこり笑った。極上の微笑みだ。そのままゆっくりデスクに腰掛けると、キャスリンはチャコティを見つめたまま言った。

「あなたに船の指揮を任せることにするわ」

チャコティは一瞬理解できずに聞き返した。

「何ですって?」

「ヴォイジャーの指揮を任せる、と言ったの。あなたを艦長にするわ。トゥヴォックを副長にして、戦術仕官には…誰がいいかしらね。そう保安部長も決めなくちゃ。その辺は、あなたやってくれる?」

その様子には、ぼんやりと違和感があったが、チャコティはキャスリンの話の内容に混乱していた。キャスリンはまるでパーティの計画を話しているかのようだった。

「ちょ、ちょっと待ってください。あなたは艦長をおりる、とおっしゃるんですか?」

「そうよ」

あっさり答えが返ってきた。

「それで…どうするんですか、艦長を辞めて?」

「どうしようかしらね。それも考えないと」

そう言って、キャスリンは声をたてて笑った。

「なぜです?なぜ急にそんなことを?」

当然の疑問をぶつけてみた。

「特に理由はないわ。ただ、あなたのほうがこれからのヴォイジャーを指揮していくのにいいんじゃないかと思っただけよ。何か飲む?」

事態が理解できないチャコティは、いそいそとレプリケーターに向かうキャスリンを見つめた。

「なにがいいかしら?あなたはいつもお砂糖を入れたコーヒーだったわね。コンピュータ、コーヒー砂糖入りとミルクティーを1つずつ」

これを聞いて、さっきからチャコティの感じていた違和感がだんだんクリアなものになってきた。目の前にいるのは、確かにキャスリン・ジェインウェイだったが、何かがおかしい。「艦長をやめる」という発言はもちろんだが、例えばそのカップの持ち方、話し方、それにそうだ、キャスリンがブラックコーヒーではなくミルクティーを飲むなんて今まで見たことがあるか。ひょっとして、以前のように何者かが彼女に乗り移っているのか、それともキャスリンの姿をしたエイリアンか。コーヒーをもらってソファに腰掛けながら、チャコティは注意深くキャスリンを観察した。

「艦長、どうかなさったんですか?」

「なぁにチャコティ。私がおかしいとでも言うの?」

キャスリンはゆっくりと身を寄せてきた。ほのかに香る化粧品の匂いにドキリとする。するとキャスリンは白い歯を見せてニッと笑い、すっと身を引いた。

「おかしくなんかないわ。私ね、ヴォイジャーのことはもういいの。地球に帰れさえすれば、艦長じゃなくても。早く帰れたら艦隊も除隊したいわ。田舎でのんびり暮らしたいの」

おかしい、明らかにおかしい。これはキャスリンではない。チャコティはトリコーダーを取り出すと、キャスリンの体に向けた。キャスリンはまだニヤニヤと笑っている。

「どうかしら?私の体にキャスリン・ジェインウェイ以外の遺伝子があって?それともウイルスに感染してる?」

そんなものはただの1つもなかった。チャコティはフェイザーを抜いた。

「医療室へ。ドクターの検査を受けてください」

「いいわよ。行きましょう」

 作戦室を出てきた二人を見て、ブリッジクルーは全員チャコティにフェイザーを向けた。すぐトゥヴォックが戦術席から降りてきた。

「副長、あなたの行為は反逆罪に値します」

キャスリンは笑いながらそれらを制した。

「いいの、トゥヴォック。みんなも下ろして。あなたもよ副長、クルーが混乱するでしょう?」

チャコティは仕方なくフェイザーをしまった。

「トゥヴォック、一緒に医療室に来てくれ。詳細は行きながら話す」

トゥヴォックはチャコティに従ったが、さりげなくキャスリンを庇ってブリッジを出て行った。

 医療室ではセブンがドクターの実験を手伝っていた。

「これはお揃いで。緊急事態の概要を述べてください」

ドクターはヴォイジャーのヘッドが揃って現れたことの素直な驚きを抑えながら、いつもの挨拶で迎えた。チャコティが彼の「違和感」について話すと、ドクターは医療用トリコーダーをキャスリンに向けた。

「ふむ…異常はないようですが。遺伝子にも変化はありませんし、何らかの病原体に侵された形跡もない。艦長、ご気分はいかがですか?」

「元気よ。変わりないわ」

その後ドクターがいくつか問診するやり取りを聞いて、セブンが口を開いた。

「ドクター、副長の心配は当たっているようだ」

全員がセブンに注目する。

「どういうことだ、セブン。最先端の医療用トリコーダーでも異常は発見されなかったんだぞ?」

トゥヴォックがドクターに賛同した。

「何か、明確な根拠があって言っているのだろうな?」

「その通りだ」

「説明したまえ」

セブンは自信満々でキャスリンの前に進み出、きっぱりと言い切った。

「『訛り』だ」

男性陣の顔には?マークが浮かんだ。

「具体的に」

「ジェインウェイ艦長の話し方とは違う。少佐はバルカン人だから気付かないかも知れないが、私の母語は英語だ。普段の艦長はアメリカ英語を話すが、先ほどの発音はイギリスのものだった。本人はごまかしたいようだが」

「ちょっとまて、俺も英語話者だ」

チャコティが口を出した。

「副長は地球から離れた星で生まれ育ったと認識しているが?」

「そうだ」

「それが影響しているのだろう。もっとも、22世紀以降イギリス訛りの英語はあまり使われていないので、艦隊で聞いたことがなくとも不思議ではないが」

トゥヴォックはその説明の穴をついた。

「君も地球で生まれたわけではないだろう。しかも記録によれば、家族以外の人間とそれほど触れ合ってこなかったと」

「その通りだ。しかし、私は集合体に同化されていた時、あらゆる人物とリンクしていた。地球人の中には、イギリス訛りで話す人物の記憶を持っている者もいた」

「艦長はイギリスの文化に傾倒している。話し方が影響されてもおかしくないのでは?」

「いや。人間の場合、話し言葉は幼児期に養育者のそれを聞いて習得するものだ。教育機関などで多少修正されることもあるだろうが、『訛り』に変化させることはない。例えわざと発音を真似てみても、音単位で発音が異なるのだから、完璧にこなすというのは至難の業だ。それに、キャスリン・ジェインウェイ艦長がこのヴォイジャーの医療室で、ドクターに対してイギリス英語を使うことには何の意味も見出せない。したがって今目の前にいる艦長は、本来のジェインウェイ艦長ではない可能性がある」

「論理的推論だ」

バルカン人は納得したようだが、医療用ホログラムはそうはいかなかった。

「セブン、データを見てくれ。トリコーダーは嘘をつかんよ」

キャスリンはそうだといわんばかりにセブンを見たが、言葉は発しなかった。

「可能性としては、トリコーダーに感知されない未知のウイルスや同様のエイリアンのテレパシーによる人格の乗っ取りだ。しかしこのような変化はボーグのデータにもないので、特定しかねるが」

ドクターはそれを聞くと、別のトリコーダーをキャスリンに向け、それをコンソールにダウンロードした。二つのデータが映し出され、中央に大きく「不一致」という文字が点滅した。

「ドクター、これはなんだ?」

チャコティは見たことのない生体データを見ながらたずねた。

「脳波の一種です。普段はアルファ波・ベータ波・ガンマ波を測定しますが、ある事例においてこれらに異常はでません。異常がでるのは、普段は測定しないこの特殊な脳波だけです」

「なんだ?」

ドクターはため息をつくと、キャスリンの顔を見て言った。

「解離性同一性障害です。古くは、多重人格障害と呼ばれていた」

トゥヴォック、チャコティ、セブンもキャスリンの顔を見つめた。キャスリンが口を開く。

「バレちゃったわね。そう、私はキャスリンじゃない。エリザベスよ」

「セブンにボーグの同化した人格が現れたことがありましたね。それでひょっとしたら、と思ったのです。ただ、艦長の場合はセブンとは違い、地球で古くから認識されている多重人格だと思われます」

トゥヴォックにブリッジを任せ、医療室の奥のベッドにキャスリン…エリザベスをひとり残し、デスクでドクターの話を聞いたチャコティは、不安を抑え切れなかった。当の本人はミルクティーをおいしそうに飲んでいた。

「原因はなんだ?」

「21世紀後半までは、幼児期に繰り返し強い心的外傷を受けた場合、そのショックから心を守るために出現するものだと考えられていました。例えば虐待などの酷い出来事を経験したのは『別の誰か』…これを交代人格と呼びますが、その人物であって自分ではない、と思い込むんです。現実逃避ですよ。この繰り返しが別人格を生み出す」

「じゃ艦長が幼児虐待を受けていたと言うのか?」

「昔はそれだけが理由だと考えられてきました。実際多くの患者が幼児虐待を受けていたという記録も残っています。しかし、現在では一概にそれだけでは解明できない事例も多く報告されています。こればかりは、本人に話を聞いてみませんと…」

「キャスリンに、か?」

「いえ、交代人格であるエリザベスのほうに、です。おそらく、艦長はご自分の中に別人格が存在するなどということは知らないでしょうから。それに、これは虐待を受けていたと仮定してですが、艦長が抑圧した記憶の産物である交代人格は、その記憶を有していると考えられます」

チャコティは気がすすまなかった。キャスリンの辛い過去を掘り出すことにならないか、それはキャスリンを傷つけることにならないか、自分が知ってもいいことか。

「面白いわね、その説は」

いつの間にかオフィスの入り口で話を聞いていたエリザベスが、話に入ってきた。もうイギリス訛りを隠そうとはしておらず、声そのものが違っているかのような錯覚を起こさせた。ドクターはエリザベスをデスクの正面に座らせた。

「いずれにしても、自己紹介をしてもらおうか…エリザベス。副長はここにいてもいいかね?」

エリザベスはチャコティを見上げた。目が合うと、またあの極上の微笑みを浮かべて言った。この微笑だけはキャスリンと同じだ。チャコティは思わず目を逸らす。

「もちろん、居てほしいわ」

「ではまず…、君は何歳だい?」

「30よ。キャスリンに年を追い越されてもう15年かしらね」

「いつから艦長の中にいるか、憶えているか?」

「物心がついた頃から、というのかしら。最初の記憶は、2歳ごろの小さな身体で鏡を見ていたことよ」

「普通、多重人格の場合、複数の人格が表れるものだが、君の他に、交代人格は居るのかい?」

「いた、わね」

「というと、もう居ないのか?」

「ええ。キャスリンが小さい頃は何人かいたわ。もうずっと前のことだから、記憶が曖昧だけど…。アランというフランス人の中年男性とか、イミョンという10歳くらいのアジア人の女の子。ジョンっていう黒人の18の男の子は怖かったわね、小動物を見るたびに殺したいと思っていたの。ああそれに、私と同じくらいの白人男性もいたけれど、名前は教えてくれなかったわ」

「周囲に気付かれたことは?」

「いいえ。私が彼らを抑えていたから。キャスリンが1人で安全に遊んでいる時だけ、順番に出るのを許してあげた」

「すると…君が人格の出現をコントロールしていたのか?」

「そうね」

「今、彼らは居ないと言ったね。いつ、どんな風に、なぜ居なくなったのか憶えているか?」

「それは…言いたくないわ」

エリザベスは少し動揺しているようだった。

「ふむ…。では、なぜ君たちが存在するようになったか、その原因に心当たりは?これは、答えてもらうよ」

「分からないわ、申し訳ないけど。あなたたちは幼児虐待の可能性まで気にしているみたいだけど、キャスリンはみんなに愛され慈しまれて育ったわ。あの提督が、大事な娘に手をあげるはずないでしょう」

これを聞いてチャコティはほっとため息をついた。ドクターの質問は続く。

「それはよかった。ところで、君は艦長と入れ替わったとき、チャコティ副長やヴォイジャーのことが分かっていたね。なぜ艦長の人間関係や船の内情に詳しい?」

「私には全部見えているからよ。キャスリンが見たものは見えているし、聞いたもの、触ったもの、匂い、味も。何を感じて、何を考えて…全てね」

「では艦長と5感や思考を共有していると?」

「共有…とは違うんじゃないかしら。私はキャスリンの全てを知っているけれど、キャスリンは私の存在さえ知らないわ」

「そうすると、艦長は自分の記憶の欠如に気付いていないことになるが…」

「私はほとんど表に出ないわ。特に、キャスリンが幼稚園や学校に行くようになってからはね。そのほうがキャスリンの生活にいいに決まっているでしょう?」

「よく分かったよ。ありがとう」

「おしまい?肝心なことは訊かないのね。まあいいわ、私はキャスリンの部屋に戻ったほうがいいかしら?」

「そうだね。詳しい検査は後でさせてもらうよ」

エリザベスは軽く頷いた。そしてゆっくりと立ち上がると、チャコティに目をやってオフィスを出て行こうとした。しかし出口でさっと振り返り、

「そうだわ。チャコティ、私はキャスリンじゃないんだから、コマンドとセキュリティーのコードを解除したほうがいいと思うんだけど、どうかしら?」

「君はキャスリンじゃないんだから、勝手に艦長をおりることはできないんじゃないか?」

「おりるんじゃないわよ。できればそうしたいけど、あなたは認めるわけにいかないでしょう。だけど、私はキャスリンの仕事をする気はないわ。艦長のコードをあなたたちに分けておかないと、困るんじゃない?」

たしかに、その通りだった。

「分かった」

チャコティはしぶしぶ答えた。エリザベスは嬉しそうに笑うと、医療室を出て行った。ドクターは、エリザベスの回答をパッドに打ち込んでいた。

「ドクター、何か分かったか?」

「少しは。彼女は保護人格と呼ばれる種類の人格です。これは交代人格の中でも特殊な人格で、先ほどお聞きになったように『どの人格が表にでるか』をコントロールできます。また同時に、主人格や身体に危害を加える人格が現れた場合、それらを保護する役割を担っている場合が多い」

「それで?」

チャコティはそんなことが聞きたいのではなかった。ほかでもない、キャスリンを取り戻す方法だ。艦のシステムやどうのこうのも大事だろうが、それは今のチャコティにとって小さなことでしかなかった。保護人格か何か知らんが、今はキャスリンの身体を乗っ取っているのだ。

「副長、落ち着いてください。彼女が艦長としての役割を果たさないということは、船の指揮をあなたが執らなければならないんですよ。まずはトゥヴォック少佐と話し合うべきでは?」

チャコティは深くため息をついた。そのことは充分わかっている。

「結局エリザベスの言うとおりにするしかないのか。皮肉だな」

「今のところは、です。なんとか艦長を取り戻すように全力を尽くしますので」

「頼むぞ、ドクター」

チャコティは、自分の責務を果たしに向かった。

副長日誌、補足。トゥヴォックと話し合った後、上級士官を集めて事態を伝えた。トムやハリーは信じられないといった様子だったが、トゥヴォックいわく人間の精神は諸刃の刃だそうだ。打ち方を間違えると、ぽっきり折れてしまう。少し前の、「空虚」での艦長の豹変からも、それが見て取れると…。私は、それだから人は美しいと思うのだが、この状況では呑気にそんなことは言っていられない。艦長の権限を一時的にクルーへ配分し、α宇宙域への旅を続ける。船の業務は、以前何度かあった艦長や私の不在時の経験が役に立つ。それでも、クルーの間には不安感が漂っている。ドクターの詳しい検査が待たれる。

チャコティは艦の業務に追われた。クルーが手伝ってくれるとはいえ、艦長分と副長分の両方の報告書を読み、指示を出し、他にも雑務が山ほどあった。副長や艦長の経験がないとできないものも多く、実質はチャコティが一手に引き受けなければならなかった。それでもチャコティは、時間を作ってドクターを呼び、経過を報告させた。

「身体には異常ありません。仕事に追われていない分、むしろ健康です。いつも艦長には『休暇を取ってください』と口をすっぱくして言ってきましたが、まさかこんな形で実現するとは…」

「それで、解決方法はあるのか?」

「治療としては、通常『統合』或いは『共存』という形にもっていきます。文字通りですが、『統合』は複数ある人格を1つの人格にし、記憶や考え方も統一して持てるようにするのです。『共存』は、人格たちと話し合い、主人格の生活に支障がないようにするという方法です」

「どっちがいいんだ?」

「そうですね…『統合』が望ましいのではないかと思われます。艦長の場合、とっさの判断や重要な決断を迫られますから、そんな時に交代人格たちが口を出したり、自分と違う考え方をする艦長を傷つけたりしかねません。しかし…」

「何か問題があるのか?」

「はい。今艦長が『エリザベス』の状態にあるということです」

「どういうことだ?」

「副長が異常を感じられて、艦長を医療室に連れて来られてから、艦長は一度も『キャスリン』に戻っていないのです。もし戻っていたとすれば、作戦室にいない自分を不可解に思い、誰かに何か言うはずですから」

「キャスリンがいないことはたしかに大問題だが、それが治療にどう影響するんだ?」

「いずれにしても、人格同士の意思疎通、そして同意が必要なのです。今の状態では、艦長と私たちは意思疎通ができないですし、艦長がこの状況を認識しているかさえ分かりません。それでは、手のつけようがない」

当のエリザベスは、久々に表に出た感覚を楽しんでいた。キャスリンを通してではなく、こうして直に空気を吸う感触は格別だ。キャスリンの部屋に入ったエリザベスだったが、せっかくこうしているのだから、1人でくすぶっているのはもったいない…。よし、と思いなおすと、襟章を外し、制服を脱いだ。洋服ダンスを覗き込むと、着られそうなものをいくつか見てみたが、どれも気乗りしなかった。キャスリンとは趣味が合わないようだ。自分で服を選んだことなどないエリザベスだったが、迷うことなくレプリケーターに向かって好きな服を注文した。

食堂に現れたエリザベスを見て、クルーは仰天した。私服の時はいつも自然色、または白やベージュなどの穏やかな色調である彼らの艦長が、鮮やかな(しかしかなりきつい)紫を着ていたからだ。ざわめくクルーの様子を気にする様子もなく、エリザベスはカウンターに出されていた昼食を皿にとり、スタスタと窓辺の席について食事を始めた。遠巻きに見つめるだけのクルー。そこへ、厨房の奥からニーリックスがやってきて緊張気味に声をかけた。

「艦長」

「あらニーリックス、頂いてるわよ。このキッシュすごくおいしい」

「それは…ありがとうございます。艦長…具合は、もういいんすか?」

「体は健康体よ。それとニーリックス『艦長』はやめて」

戸惑っているニーリックスを見たエリザベスは、フォークを置き、全員の方を向き直って高らかと宣言した。

「私はエリザベスなのよ。どうせヴォイジャーのことだから、私のことはみんなに知れ渡っているんでしょう?キャスリンと私は別人なんだから、そういう風に扱ってちょうだい。もちろん、これは艦長命令なんかじゃなく、私からのお願いよ」

そして、タラクシア・スパイスがたっぷり効いたキッシュにフォークを突き刺した。

チャコティは部屋で一人ため息をついた。どうすればいい、キャスリンと話をするには。おそらくエリザベスに抑えられて、心の奥底に沈められ…。チャコティは1つの可能性に行き着いた。

 チャコティがブリッジに行くと、艦長席に座っていた彼に声をかけた。

「トゥヴォック、作戦室に来てくれ」

作戦室に入ると、チャコティはすぐ振り返ってトゥヴォックに言った。

「精神融合はできるか」

「…艦長と、でしょうか」

バルカン人はいつまでも冷静だった。

「そうだ。ドクターの話によると、キャスリンを取り戻すためには、心の奥に沈みこんでいる彼女と話をしなきゃならないんだそうだ。セブンが多重人格になったとき、混沌とした人格の中から、セブンを取り戻そうとしたことがあっただろう」

「はい」

「ケスが暴君の人格に乗っ取られた時も、精神融合で一時的にケスが現れたと言っていたな」

「そのとおりです」

「…できるか」

「確かに…試す価値はあるかもしれません」

 しかし、これに大反対したのが、ドクターだった。

「無茶だ!艦隊でも、この障害を精神融合で治したという記録はありません!ケスやセブンの場合は、別人の人格が身体に入り込んだ結果だったから、上手くいったんです。艦長の場合、なぜこうなってしまっているかの原因さえ分からないんです!精神融合は医学では計り知れない。下手したら艦長の人格まで傷つけかねないんですよ!」

「他に手があるか。ドクターが言ったんだぞ、キャスリンと話す必要があると」

「そうですが…しかし、少佐にも危険が及ぶ。艦長が、そんなこと望むと思いますか」

まるで死んだような言い方だな。チャコティは少し情けなくなった。

「今、キャスリンは意思表示ができない。彼女の次に権限があるのは俺だ。キャスリンが戻るまで、俺が決める」

ドクターは軽いデジャ・ヴを覚えた。

「…わかりました。彼女を呼びましょう」

エリザベスは、話を聞いて少し考えた。トゥヴォックにキャスリンを引っ張り出されたら、今のキャスリンは何と言うだろう…。しかし、エリザベスには自信があった。自分の「思い」に。彼女が承諾したことに、ドクターたちは驚いたが、拒否され騒がれるよりはずっと良かった。

「心を、1つにし、思いを、伝えたまえ。心を…」

目の前のバルカン人が唱える言葉が、ドクターには呪いの呪文のように思えた。バルカン人はチャコティやドクターの見守る中、彼らの艦長の心の中に入っていった。

 目を開いたトゥヴォックは、ある部屋にいた。ガラス戸の外は緑の芝が生い茂り、太陽の光が燦々と差し込んでいた。部屋には小さなベッド、クローゼット、机、全身鏡。それに人形やおもちゃが散らかっている。小さな女の子の部屋のようだ。

「艦長」

トゥヴォックは部屋を見回した。すると、ベッドに隠れた窓際に、見覚えのある姿があった。キャスリンは、ラフな部屋着を着て膝を抱え、窓の外を見ていた。

「艦長?」

トゥヴォックはもう一度呼びかけたが、彼女は応えなかた。いつもはしないことだが、トゥヴォックはそっと、キャスリンの肩に触れた。

「無駄よ」

後から、初めて聞く声がした。手を離して振り返ると、キャスリンより少し若い女性が立っていた。緑色の瞳、淡い金髪の髪は長く、素晴らしいウェーブを描いていた。気の強そうな彼女はしかし、キャスリンとは違ったタイプの美人だった。そして、彼女は着ているのは、紫のワンピース。

「エリザベス…か?」

「ええ。『初めまして』と言うべきかしら?トゥヴォック」

「必要ない」

「だと思ったわ」

エリザベスはニッコリと笑った。

「艦長を、返しにもらいに来た」

「言ったでしょう?無駄よ。見てみなさい、キャスリンには私たちの声が聞こえているはず。以前の私と同じで、私の全てを見て聞いて、感じているのよ。でも身動き1つしない。古い友人のあなたが、危険を冒して助けに来てくれたというのに」

トゥヴォックは、もう一度キャスリンの元に膝をつくと、静かに話し始めた。

「艦長、どうか私と来てください。貴女はヴォイジャーに欠かせない人だ。皆、貴女を待っているんです」

もう一度肩に触れたトゥヴォックだったが、その手はまるで薄いホログラムのように、キャスリンの肩をすり抜けた。

「無駄だと言ったでしょう?」

いつの間にかすぐ後まで来ていたエリザベスが、キャスリンの腕を抱いて立たせた。彼女の手は、しっかりとキャスリンに触れていた。二人が並んで立つと、エリザベスの方が少し長身であった。エリザベスはキャスリンを後ろからふわりと抱きしめた。

「それどころか、このままではキャスリンはますます心を閉ざしていくわ。あなたも入り込めない奥の奥までね」

「どういうことだ?」

「そのままの意味よ」

トゥヴォックは最後の望みを託して、キャスリンに声を掛けた。

「チャコティ副長が、医療室の貴女の側にいます。彼も、待っているんですよ」

その名前を聞いたキャスリンは、わずかに首を動かしたように見えた。同時に、何故か眉をひそめたキャスリンの表情は、痛みを感じているようだった。それを見たエリザベスは、急に真剣な表情になり、身をひるがえしてトゥヴォックとキャスリンの間に立ちはだかった。

「出て行って」

今までになく、静かな怒りのようなものが込められているように、トゥヴォックには聞こえた。

「そうはいかない。艦長を取り戻すことが、私の任務であり、友人としての願いだ」

「出て行って」

また少し、語気が強められた。

「出て行け!」

エリザベスはトゥヴォックを突き飛ばした。地球人女性とは思えない力の強さに、トゥヴォックは思わずよろめいた。

「ここから出て行きなさい!!」

エリザベスが叫ぶと、全てが真っ暗になった。一瞬あと、トゥヴォックは自分の体の感覚を取り戻した。目を開けると、そこは医療室で、気を失ったエリザベスを、チャコティとドクターがバイオベッドに運んでいた。

「少佐、どうなった?」

ドクターが、エリザベスの体を調べながら聞いてくる。今までにない経験に、バルカン人でも動揺した。

「…どうやら、はじき出されたようだ」

彼には、同時に1つの疑念が浮かんでいた。これほど強力な精神力の持ち主なら、あるいは…。

トゥヴォックが心の中で見たことを話すと、2人は絶望的な表情を浮かべた。

「じゃあ、キャスリンは自分で心の奥に引っ込んでいるってことか?」

そんなはずはない、とチャコティは思いつく全てを否定した。

 副長個人日誌、補足。それからしばらくして、エリザベスは意識を回復した。彼女が目覚める時、或いはキャスリンが…と期待したが、無駄だった。トゥヴォックが言っていたように、キャスリンがエリザベスの見聞きしていることを知っているならば、直接彼女に話しかけてみるか。しかし、エリザベスはキャスリンがこのまま心を閉ざすだけだと言ったらしい。それは、今やっていることが、徒労だけでなく逆効果になってしまうのかもしれない。このまま待つしかないのか、手遅れになってしまわないだろうか。

 あの「空虚」時と同じだ。キャスリンは心を閉ざし、闇の中にいて出て来ようとしない。あの時、私が首謀した「反乱」で、キャスリンにはクルーの気持ちが伝わったと思っていた。確かにドクターはあの後、艦長に注意するようにと言っていた。心の傷はそう簡単には癒えないと。そうすると…俺の落ち度かもしれない。あれから、以前と同じように隣で仕事をしているキャスリンが、まだ完全に回復していなかったということに、気付けなかった。

トム・パリスとハリー・キムは、いつものように食堂で共に昼食をとっていた。しかし、口数は少なく、皿に乗っている物も一向に減らない。それは、ハードワークによる疲れではなく、他の多くのクルーと同じ不安からだった。

「いいかしら」

頭上から降ってきた声に、2人は反射的に立ち上がろうとした。それを、エリザベスが制する。

「いいのよ、座って頂戴」

エリザベスとともに座った2人は、どう言葉を発していいのか迷った。意を決し、ハリーが口を開く。

「なんでしょう、艦長」

「ハリー」

トムは、緊張のせいで思わず口にした呼称を誤魔化したかった。

「あっ…すみません」

エリザベスは少し悲しそうに笑った。

「いいの。それより、私と少しお喋りしてくれない?」

「僕らとですか?」

「なんだかね。折角体が思うようになるっていうのに、みんな私のことをあからさまに避けるんですもの。私は別にキャスリンを引き摺り下ろして表に出たわけじゃないのに」

「どうだか」

今度は、トムの失言だった。しかし、彼は自分の言ったことの意味を分かっていた。

「何ですって?」

エリザベスは、聞こえた言葉が空耳であって欲しいと願った。

「本当に、そうですか?」

「トム、やめろよ」

今度はハリーがたしなめたが、トムは聞かなかった。

「いや、この際だからはっきり言ってやる。いいですか、ヴォイジャーの艦長はキャスリン・ジェインウェイだ。彼女がいないと船は持たないんだよ」

溜めていたイラつき、もやもや、全てを吐き出してしまいたかった。

「あんたが現れてから、クルーはみんな拠り所をなくして困ってるんだ」

エリザベスは思わず立ち上がった。

「あなた…それ…」

「本心だよ。クルー全員の本心だ」

トム、ハリー、そして食堂にいるクルーの顔を見たエリザベスは、自分が見たくないものをそこに見つけてしまった。

「私だって…好きでやってるわけじゃないわ。これは…こうするしかなかったのよ…。キャスリンは、今あなたたちの前に出られない。出しちゃいけないの」

エリザベスは、軽く頬をぬぐうと、食堂を出て行った。それまでの余裕に満ちた彼女と違う反応に、トムたちは少し罪悪感を覚えた。彼女もまた、1人の人格なのだ。

「よく言ったよ、トム」

友人の落ち込みを見ても、ハリーは月並みな慰めの言葉を並べるしかなかった。

「本当のことだもんな、艦長がいないと困る。仕事だけじゃなく…」

「ああ…」

食堂にいたクルーの何人かは、ハリーと同じようなことをトムに言って、食堂を後にした。

 エリザベスは、取り乱した自分を何とか取り戻すと、次に行く場所を探した。誰かと話したい、一緒にいて欲しいと思う気持ちは満足されず、むしろ強くなっていた。チャコティのところへ…いや、彼がキャスリンを誰よりも望んでいることはエリザベスにも分かっていた。しかも、トムたちとは違う意味で。廊下にでて、艦内をそここことなく彷徨う。すれ違うクルーは、見てみぬフリをする者もあれば、無表情でじっと見つめるものもいた。彼らの視線が、好意的でないそれが、エリザベスには痛かった。これなら、感情のないトゥヴォックの方がずっとましだ。しかし彼も、古い友人を失うことを強く悲しんでいる一人だ。そうだ、彼女なら…。

 天体測定ラボのドアが開いても、この部屋の管理人は変わらず作業を続けていた。一歩足を踏み入れたエリザベスは、立ち止まって声を掛けた。

「お邪魔、かしら?」

「いや。あなたとの会話で私の作業効率が落ちることはない、エリザベス」

まともに名前を呼ばれたことが、エリザベスには嬉しかった。セブンの隣まで歩を進める。

「あなたは、いつもと変わらないのね」

「そうでもない」

「あら、いつもと同じように淡々と仕事をこなしているじゃない。他のクルーみたいに落ち込んでいる様でもないし」

「クルーは落ち込んでいるのか」

「残念ながら」

「なぜだ」

「彼らの艦長さんが不在だからよ」

「艦長は、皆の中心たる人物だ。彼女がいなくて、不安を感じているのは私も同じだ。しかし…今は任務を遂行し、彼女の帰りを待つだけだ」

「なぜ?」

「以前艦長は私に、耐えることが肝要だと言った。自分が耐えられそうになくても、我慢するのだと。おそらく、今の艦長もまたその時の私と同じ立場にあるはずだ。彼女が耐えているのなら、私も耐えよう」

その言葉を聞いたとき、エリザベスの中で頭をもたげるものがあった。思わず、胸元をおさえる。

「どうした?」

スクリーンを見ているはずのセブンが、視線を向けずに聞いてくる。

「いえ…なんでもないわ」

すると今度はエリザベスの顔を見て、セブンは眉を動かした。

「医療室へ行くか?」

「大丈夫」

セブンは顔を戻し、作業に戻った。

1つ、聞いてもいいか」

「そうぞ。なんでも聞いて」

「キャスリン・ジェインウェイは今どこにいる」

いつもこうなのね、とエリザベスは思った。私の顔を見て、みんなが口にするのは「キャスリン」。

「彼女は今、心の奥底にいるわ」

「それは、どんなところだ?」

「そうね…トゥヴォックが精神融合した時には、部屋の中だったわ。キャスリンが小さい頃、まだ私もちょくちょく外へ出たころの部屋よ。大きな窓は庭に面していて、いつでも暖かい陽の光が差して。いつごろだったかしら、他の人格を…他の人格がいなくなって、私とキャスリンだけになって。あのころが、一番心安らかな時だったかもしれないわね、キャスリンにとって」

セブンは彼女の言葉のわずかな揺れが気になった。

「あなたにとっても」

「そう…ね」

「他の人格は、あなたとは違ったのか?」

「違うといえば、違うけど。キャスリンと私も違う人格よ」

「そういう意味ではない。あなたは艦長に対して、敵意を抱いているわけではない。むしろ、好意的だ」

「ええ、その通り」

初めて、自分の真意が通じ、エリザベスは最高の笑顔を見せた。

「他の人格はどうだったのだ?やはり、艦長に対して好意的だったのか?」

「そうでもないわよ」

口が、軽くなっていた。

「アランは文学が好きでね。まだ本が読めないキャスリンにイライラしてた。イミョンは、母親の愛情がまだ欲しい年頃だったから、いつも提督や母親に抱きしめられるキャスリンを羨んで、ひがんでいたわ。ジョンは、自分の欲求を満たすことで頭がいっぱい。とにかく表へ出たがって、大変よ」

「彼らは、艦長が邪魔だった」

「でも、大事なのはキャスリンよ。彼らには、傷つけさせなかったわ」

セブンはある確信を持って、エリザベスに向き直った。

「話の途中ですまないが、急用ができた。行ってもいいか?」

エリザベスは、自分の言葉がセブンに何を与えたか気付いていないようだ。

「ええ。話せて楽しかったわ」

セブンは、いつもキャスリンにするとおり、少しだけ首を動かし、スタスタとラボを後にした。

キャスリンは、始め自分のいる部屋の温かさや心地よさに身を委ね、ただただ外の世界を見ているだけだった。しかし、トムやセブンの言葉に、徐々に自分がどうしているのかに気付いた。これでは、あの時と同じだと。あの時、自分が姿を見せなかったことで、どれだけクルーを、友人たちを傷つけたか。そしてまた、同じ過ちを繰り返そうとしている。キャスリンは、窓辺の陽だまりから立ち上がった

 深夜のシフトは、通常トゥヴォック以下の上級士官に任されることが多いが、この日はチャコティが務めた。通信席にはハリーが志願し、疲れた副長の補佐にあたった。通常なら観察する天体現象も、元科学士官の好奇心がない今のコマンドでは、避けられるしかなかった。

「コース、修正しました。副長」

パイロットの報告に、チャコティはすぐに反応できなかった。

「副長?」

彼女が振り返った時ようやく、ぼーっとしていたチャコティが答えた。

「あ…ああ。ご苦労、中尉」

「副長」

今度はハリーが声をかけた。

「なんだ?」

「少し、休んで下さい。夜勤は自分でも」

「いや、大丈夫だ」

声はとても「大丈夫」ではなかった。

「艦長がいないんです。今副長に倒れられたら、ヴォイジャーはどうするんですか?」

ハリーにこんなことを言われるとはな、とチャコティは苦笑いを隠せなかった。彼の気持は、よく分かった。

「わかった、少尉。そうさせてもらうよ」

ブリッジクルーが心配そうに見つめているのを感じ取ったチャコティはふと、キャスリンはこんなくすぐったい思いをしているのだろうか、と考えた。いつもなら、ハリーの言葉は自分のものだ。長たるものの感触を思い浮かべながら立ち上がったチャコティは、しかしそのままブリッジの床に倒れた。

エリザベスは医療室の扉が開くのを待ちきれず、飛び込んできた。奥のバイオベッドに駆け寄る。

「チャコティ!」

チャコティは、中身が彼女ではないと分かっていたが、キャスリンの姿を見てほっとしていた。ドクターはここぞとばかりぼやいた。

「全く、こういうのをなんと言うかご存知ですか?『二の舞』ですよ。いつも私が艦長に休養を取るよう申し上げていることは?それもご存知でしょう。ハイポスプレーも打たずに、よくやれるもんだと思っていましたが、呑気に感心している場合じゃなかった」

「ハイポスプレーだと?」

ドクターは、思わず口を滑らせてしまっていた。

「失礼。聞かなかったことにしていただけますか。患者の情報には守秘義務がある」

代わりに答えたのは、エリザベスだった。

「キャスリンは時々、栄養剤と疲労回復のハイポスプレーを打っていたの。ドクターに無理を言って」

チャコティは、またしても自分が何も知らなかったことを悔やんだ。身を削るようにして仕事をこなしていたキャスリン。彼女が帰ってきたら、仕事を少し分けるように進言しよう。目の前の女性を見つめて、チャコティは決心した。

「エリザベス。君に頼みがある」

「なに?私にできること?」

「ああ、そうだ」

「分かったわ。なんでも言って」

エリザベスが心底チャコティを心配している様子が見て取れ、チャコティは少し気が引けたが、それよりも大切なものがあった。

「キャスリンを、返してくれ」

エリザベスは大きく目を見開いて、2、3歩後へ下がった。

「…できないわ。それだけは」

予想した返答ではあったが、エリザベスは胸を押さえ、必要以上に動揺しているようだった。

「どうして?キャスリンは、彼女はあなたの気持ちを知りながら、目の前にいながら、決して応えることはなかったのよ?何度あなたの視線から顔を背けた?何度『私は一人』ってあなたに言った?キャスリンは、自分にも嘘をついていたのよ。その度に、自分で傷ついて。あなたとの関係に、どれほど眠れぬ夜を過ごしたか。あなたとキャスリンが向き合う度に、キャスリンは安堵と一緒に痛みを抱えているの!」

チャコティには、エリザベスの言っていることがよく分からなくなった。話の主体が、チャコティからキャスリンに移っているのだ。これでは、まるで…。

そこへ、トゥヴォックとセブンが入ってきた。ヴォイジャーで一二を争うクールヘッドが、二人揃って見舞いに来たのか、とチャコティは一瞬奇妙な想像をしてしまった。

「ドクター、話がある。エリザベス、あなたにも」

「なんだね、セブン。どうしてトゥヴォックまで一緒に来た?」

「少佐は私の推論が論理的であるかどうか判断してくれたのだ」

「推論?」

トゥヴォックが、話を補った。

「加えて、私は本来の任務を果たしにきました」

先ほどの話が理解できずにいるチャコティは、ますます混乱した。彼らの理論についていくには、1人でも相当の気合が必要だ。

「天体測定ラボでエリザベスと話をした時、私は奇妙なことに気がついた。彼女は『他の人格を』と言い、慌てて『他の人格が』と言い直した。後に続いたのは『いなくなった』だ。私の文法理解が正しければ、前者と『いなくなった』が同じセンテンスに共存するなら、他の人格を誰かがいなくならせた、という文章が正当だろう。しかもその後、艦長が邪魔だと思っていた彼らに対して『傷つけさせなかった』と言った。これもまた、他の人格と艦長の間に別の誰かの存在を示唆するものだ」

「つまり?」

「その誰かが、別の人格を全部消し去った…問うことか?」

チャコティはドクターの言葉にはっとした。キャスリン以外で、他の人格を消し去ることができる者。誰もが気付いた事実だったが、トゥヴォックが改めて言った。

「それができるのは、1人。バルカン人さえもはねつける精神力の持ち主…あなただ、エリザベス」

チャコティは、思わずエリザベスに食って掛かった。

「キャスリンも消したのか!」

それを制したトゥヴォックは、それにしては冷静だった。

「エリザベスが他の人格を消したのは艦長を守るためだったのでは、とセブンは推測しています」

「守る?」

「その通り。おそらく、他の人格は結託し、艦長を消そうとした。彼らの存在さえ知らない艦長になす術はないでしょう。しかし、エリザベスはそれを許さなかった。彼らが束になってかかってもかなわないほど、彼女は強かった」

「逆に、彼らが消されてしまった…」

チャコティにも事態が浸透し、全員がエリザベスを見た。彼女は、この上なく追い詰められていた。

「そうよ!私が消した!あいつらは、まだキャスリンが幼いうちに消してしまおうとした。だから、私が守ったの!キャスリンが消えたら、私はなんのためにいるのか分からないわ。あの子が、私の存在意義なの!」

「じゃあ何故だ!何故キャスリンの生活の邪魔をしようとする?」

チャコティの問いに答えたのは、トゥヴォックだった。

「艦長が、心に痛みを抱えていたからでしょう。特にこのδ宇宙域に来てからは、ご自分の決断を悔いておられた。そのストレスに」

エリザベスが言葉を継いだ。

「押しつぶされそうだったわ。キャスリンは、このままでは壊れてしまう。それに、彼女も、誰かに全てを任せてしまいたいと思っていた。だから…」

「体を奪ったと言うのか」

「守るためよ!キャスリンを傷つける全てのものから!δ宇宙域、クルー、チャコティあなたも。それが私の役目なの!」

「しかし、艦長にとって危険であることは確かだ」

セブンの言葉に、悲痛だったエリザベスの叫びが怒りに満ちた。

「何故?私がずっと守ってきたのよ!」

「だが気が変われば、艦長を消すこともできる。非常に危ういものだ」

セブン、ドクター、トゥヴォックそしてチャコティの責めるような目に、エリザベスは耐えられなくなってきた。両手を胸に押し付け、少しずつ後ずさると、最後には医療室の隔壁に行き着いてその場にしゃがみこんだ。

「やめて…そんな風に見ないで。キャスリンは私が守るの…キャスリン…キャスリ…」

チャコティはパニックに陥っているエリザベスのもとへ行き、声を掛けた。

「キャスリン」

その瞬間、エリザベスは鋭い叫び声をあげ、意識を失って倒れた。チャコティはかろうじて頭を支え、トゥヴォックと共に彼女をバイオベッドに運んだ。

「大丈夫だろうか」

ドクターがトリコーダーをかざす。

「体は、異常ありません。しかし、このあとどうなるかは…」

 エリザベスは、ゆっくりと目を開けた。暖かいあの部屋にいるはずだったが、そこは何もない、ただの暗闇だった。

「エリザベス」

呼ばれて振り返ると、そこにいたのは制服を着たキャスリンだった。

「キャスリン」

2人は、初めてお互いを見つめ合っていた。

「私が、分かるの?」

キャスリンはゆっくりと頷いた。

「分かるわ。今だけじゃない、過去のあなたも」

「知っていたの?」

「いいえ、知らなかった。あなたが私にしてくれたこと、あなたのいる意味…」

「分かってくれたのね、キャスリン。嬉しいわ」

「でも、私は言わなきゃいけないわ」

エリザベスは、ついさっきと同じ展開に戸惑った。

「私の体を返して頂戴」

やっぱり。エリザベスの答えは決まっていた。

「だめ。あなたはこのままだと、傷つき続ける。ブリッジのふとした瞬間に、危険な異星人との闘いを終えた後に、クルーが家族を懐かしむ度に。このδ宇宙域にいることの責任を感じ続けるの」

「ええ、その通りね」

「あなたが言ったんでしょう?『誰かに代わって欲しい』って。もうこれ以上傷つきたくないんじゃなかったの?」

「そうよ」

「だから、私が代わってあげる。あなたを傷つける全てのものから守ってあげるわ」

「だから、私はあの部屋の奥に引っ込んでいろと?」

「そうよ!そうすれば、あなたは誰にも傷つけられず、ずっと暖かい日差しの中で過ごしていけるのよ!」

「楽でしょうね」

「そうでしょう?」

だんだん興奮してくるエリザベスと対照的に、キャスリンは落ち着いていた。

「でも、それじゃいけない」

「わざわざ辛い道を選ぶと言うの?」

キャスリンは僅かに笑った。

「そうかもしれないわ。でも自分の責任は自分が背負うべきよ。どんなに辛くても、私はクルーの前にいるべきなの…艦長としてね」

「嫌よ、そんなの。私はあなたをずっと見つめてきたのよ、キャスリン。ここ数日でもよく分かったわ、クルーはあなたの苦しみなんてどうでもいい。艦長として責任を押し付ける相手を求めているだけよ」

「言ったでしょう?責任は私が負う」

「このままでは、あなたは壊れてしまうかもしれないわ」

「それでもいい。私は自分の人生を生きるわ。もう逃げない。過去にも、未来にも」

キャスリンの顔は、この上なく穏やかだった。エリザベスが用意した陽だまりの中では、一度も見せたことのない安らぎがあった。

「それが…幸せなの?」

「そうよ。それが私の幸せ。隣にチャコティがいて、クルーがいて、ヴォイジャーで生きていく」

エリザベスは呆然として、ぺたりと座り込んだ。

「じゃ、私がしてきたことは?私はただあなたを守ろうと…」

「ありがとう。あなたの心は、とても嬉しかったわ。そして、ごめんなさい。私のわがままにつき合わせてしまって」

「私は、誰にも望まれない存在だというの?チャコティは愛する人が手元に戻ってくることを、トゥヴォックは長年の友人とまた語り合うことを、クルーたちは頼れる艦長が戻ってくることを望んでいる。誰も、私を望んでないわ」

エリザベスは、子供のように泣き出した。

「いつもそうだった。あの提督が愛していたのも、友人が沢山いたのも、優秀な艦隊士官として認められたのも、ヴォイジャーのクルーに愛されているのも、キャスリンだわ。私は…私は…」

キャスリンはエリザベスに駆け寄ると、しっかりと彼女を抱きしめた。

「私が愛されたのは、あなたが守ってくれたからよ。エリザベス、私が受けてきた愛は、あなたのお陰なの。私と同じように愛されているわ、あなたも。ずっと私の中にいたんですもの」

「あなたは…?」

「私も、あなたが大好きよ、エリザベス」

エリザベスはその言葉を聞いて、満足げに微笑むと、キャスリンをそっと抱き返した。そして、キャスリンの腕の中で、霞のように消えていった。

 バイオベッドで目を覚ましたキャスリンは、覗き込むチャコティの顔に、そっと手をのばして微笑んだ。

「キャスリン?」

おそるおそる、チャコティが名前を呼んだ。

「ええ、私よ」

チャコティの涙目と笑顔を見て、キャスリンの心は光で満たされた。

FIN

【あとがき】艦長お誕生日企画!として、FICをひとつあげることにしました。本当はこの日のために別の作品を書こうと思っていたのですが、なかなかアイディアが浮かばず、結末を書き上げていなかったこの作品を仕上げるほうに方向転換しました。普通なら、艦長の誕生パーティを描くんでしょうけれど、それは来年のお楽しみで。

これは、実は去年の暮れに書き始めたものです。でも「抱きしめて」の方が早くあがっちゃいました。セブンが艦長を「別人」だと確信するシーンはかんなり無理がありますが…ご容赦を。他にも書いた張本人からでもツッコミがたくさん入ります(結局なんでエリザベスたちは生まれたのか、とか)。あ、今気づきました。ベラナが出てこない…。ごめんねーベラナ!

DVDの特典映像で紹介されていたヴォイジャーの設定書(StarTrek:Voyager Bible)には、「キャスリン」ではなく「エリザベス」という名前が載っています(最初にビジョルドが演じた時は、フランス系の彼女に似合うようにか「ニコール」だったという説もありますが、公式なものでは確認できていません)。それに材をとり、さらに女優交代劇に伴って、キャラクターも二重構造になったときがあるのではないかと思い、二重人格の設定にしました。あとは、あの空虚での艦長の解釈や、制作に言いたかったことですかね…。ケイトさんならどんな風に演じてくれるでしょうか。

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